最近テレビに引っ張りだこのお笑いコンビ「納言」のボケ担当として活躍する薄幸(みゆき)さん。
やさぐれたキャラクターで多くの人に愛されている芸人です。
しかし、その独特な魅力の裏には、波瀾万丈な学歴と経歴が隠されています。
実は子役出身でありながら、高校時代は元ヤンとして問題行動を繰り返し、わずか5ヶ月で中退しているらしいです…!
とういわけで、今回は薄幸(みゆき)さんのwiki風経歴と学歴、高校を中退したのはなぜか徹底調査していきます。
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薄幸(みゆき)のwiki経歴

薄幸(みゆき)さんの人生は、まさに予想のつかない展開の連続だったようですね。
子役からお笑い芸人へと転身した彼女の歩みは、多くの人が驚く内容となっています。
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まずは、芸名の「薄幸」ですが、初めて見て「みゆき」と分かる人はいないのではないでしょうか?
そのユニークな芸名ですが、2015年3月12日に放送された「たけしの等々力ベース」で、ビートたけしさんから「幸が薄そう」という第一印象で命名されたというエピソードがあります。
意外な子役時代
現在の彼女を見ていると、確かに「薄幸」という名前がぴったりと当てはまっているように感じられますね。
そして、多くの人が知らないのが、薄幸(みゆき)さんの子役としての活動歴です。
小学5年生から高校2年生という長期間にわたって芸能活動を行っていました。
主な出演作品には、フジテレビの人気ドラマ『1リットルの涙』や、日本テレビの『行列のできる法律相談所』の再現VTRへの出演です。
さらに、ベネッセコーポレーションのCMにも出演していたというから驚きですね。
小学生時代には、なんとハ「ロー!プロジェクト・キッズやモーニング娘。」のオーディションまで受けていました!
現在のやさぐれキャラからは想像もつかないですね…!
女優の道を断念
しかし、高校2年生の頃に人生の転機が訪れることになります。
マネジャーから衝撃的な言葉を告げられたのです。
「100人に1人だけ全く演技力が無いままで生まれる赤ちゃんがいるんだけど、それがあなたです」という厳しすぎる評価…。
この言葉によって女優の道を諦めることになった薄幸(みゆき)さん。
しかし、芸能界への憧れは消えることはありませんでした。
特に「さまぁ〜ず」に憧れを抱いたことがきっかけで、お笑い芸人を目指すようになりました。
この転機がなければ、現在の薄幸(みゆき)さんは存在していなかったのではないでしょうか!
お笑い芸人への転身
2010年からワタナベコメディスクール13期生として本格的にお笑いの勉強を始めました。
当初は「小泉みゆき」という本名で活動し、女性コンビ「朝一番」のメンバーとして舞台に立っていました。
しかし、2015年3月にこのコンビは解散。その後、現在の相方である安部紀克さんと2017年1月にコンビ「納言」を結成しました。
安部さんは元「すとろんぐカラ〜」のメンバーで、二人の絶妙なコンビネーションが話題となっています。
最近の活躍と健康問題
納言として活動を始めてからの薄幸(みゆき)さんの勢いは凄まじいものがありました。
M-1グランプリ2018では準々決勝に進出するなど、着実に実力を認められてきています。
2019年には特にテレビ出演が急増し、株式会社エム・データの調査による「下半期・急上昇テレビ番組出演ランキング」のフレッシュ平成世代部門で1位を獲得したほどです。
ただし、2025年7月29日には体調不良により検査入院。
一時的に活動を休止することになりましたが、8月8日には翌日からの活動再開が発表されており、ファンを安心させました。
薄幸(みゆき)の学歴!
薄幸(みゆき)さんの学歴について調べてみると、かなり波乱に満ちた学生生活を送っていたようです。
薄幸(みゆき)は高校を中退

薄幸(みゆき)さんが進学したのは、千葉県立流山高等学校の園芸科でした。
この学校は、商業科・情報処理科・園芸科の3つの学科があります。
薄幸(みゆき)さんが在籍していた園芸科の偏差値は39となっており、農業系の専門知識を学ぶコースでした。
しかし、彼女の高校生活は想像を絶するものでした。
薄幸(みゆき)さんが高校を中退することになった理由は、なんと3回の停学処分…。
この高校には「3回停学処分を受けると退学」という厳しい校則がありました。
1回目の停学
入学から2、3か月後、授業をサボりがちだったことや、友達と騒いで授業を妨害することが積み重なり、最終的に先生とケンカをしてしまいます。
この際、生活指導の先生が竹刀で壁を叩いた時の跳ね返りが薄幸(みゆき)さんの手に当たり、停学と骨折のダブルパンチを受けました。
2回目の停学
詳細は明かされていませんが、駅員とのケンカが原因です。
普段からの態度の悪さが積み重なっての処分でした。
この頃には既に問題児として認識されていたのでしょうね…。
3回目の停学
そして決定打となったのが、先輩が栽培していたトマトを盗んだという事件。
薄幸(みゆき)さんは「朝から授業中にトマトを食べたらかっこいいと思った」と動機を語っています。
農業高校では農作物も生き物として大切に扱っているため、これは絶対にやってはいけないタブーでした。
この事件により、薄幸(みゆき)さんは在学わずか5か月という短期間で退学処分となりました。
中退後の教育
高校中退後、薄幸(みゆき)さんは通信教育を受けていました。
しかし、本人は「卒業した記憶はない」と曖昧な発言をしており、実際に卒業したかどうかは定かではありません。
別の情報では通信制高校に編入したとも報じられているため、編入はしたものの卒業については不明というのが現状のようです。
このあたりも、薄幸(みゆき)さんらしいエピソードといえるでしょう。
薄幸(みゆき)の元ヤンエピソード

薄幸(みゆき)さんの問題行動の背景には、非常にユニークな動機が隠されていました。
単なる反抗期というよりも、もっと複雑なものが絡み合っていたようですね。
注目を浴びたいという強い欲求
薄幸(みゆき)さん自身が語っているのは、「注目を浴びるのが快感で、ただ目立ちたかった」という動機でした。
中学時代から先生に反抗的な態度をとることが多く、友達と一緒に授業を抜け出して校庭やファーストフード店に行くなどの行為を繰り返していたそうです。
特に印象的なのは、「学校で先生とけんかするとみんなが見てくる」という注目を浴びる快感を覚えていたということでしょう。
学園ドラマへの憧れ
薄幸(みゆき)さんの反抗的な態度には、学園ドラマの影響が大きく関わっていました。
特に『3年B組金八先生』に強く憧れており、風間俊介さんが演じた兼末健次郎という「優等生のふりをした不良役」にはまっていました。
オーディションに落ちた後には、なんと私生活で不良生徒になりきって、先生に対して「うるせぇ、ぶっ殺すぞ」しか言わなくなったというエピソードも…。
これはもう演技の域を超えて、完全にドラマの世界に入り込んでしまっている状態ですね…。
お笑いへの目覚め
中学2年生の修学旅行で関西を訪れた際には、運命的な出会いがありました。
関西のローカル番組で「海原やすよ・ともこ」や「ブラックマヨネーズ」の漫才を見て「カッケー」と感じたそうです。
この体験が、後のお笑い芸人への道筋を作ったのではないでしょうか?
問題行動を起こしていた時期に、将来の職業との出会いがあったというのは興味深いものがありますね…!
退学後の生活
高校退学後の薄幸(みゆき)さんの生活ぶりも驚きの連続です。
サイゼリア、居酒屋、託児所の3つのアルバイトを掛け持ちし、月に40万円ほどの収入を得ていました。
この頃から大酒飲みになった理由について、「おごったらみんな喜ぶから」と語っているのも、彼女らしい動機といえるでしょう。
人に喜んでもらいたいという気持ちが、お酒を飲む理由になってしまうあたりが薄幸(みゆき)さんらしいエピソードですね。
17歳でワタナベコメディスクールに入学したのも、「ひまだしお金があったから」という理由でした。
普通なら将来を真剣に考えて進路を決めるものですが、このような自由奔放な発想が現在の独特なキャラクターを作り上げているのかもしれませんね!
現在への影響

当時の生活習慣は現在にも大きな影響を与えています。
1日3箱のヘビースモーカーで休肝日なしという生活を続けており、2025年7月の検査入院も、こうした生活習慣が原因の一つと考えられます。
真面目すぎないところが、多くの人に愛される理由なのかもしれませんが、健康面では少し心配ですね…!
まとめ
薄幸(みゆき)さんは子役出身でありながら高校を中退し、元ヤンとして問題行動を繰り返していました。
しかし、そんな波瀾万丈な経験がすべて現在の魅力的なキャラクターにつながっています。
今後も独特な魅力で多くの人を楽しませてくれることは間違いないでしょう!!