お笑いトリオ「ジャングルポケット」のメンバーとして活躍するジャンポケ斉藤慎二。
テレビや舞台で見せる彼のユーモアと才気あふれるパフォーマンスの裏には、波乱に満ちた人生があります。
小学生時代のいじめ体験から、俳優を目指して演劇の道を歩んだ過去、そして一般企業での勤務経験を経て、お笑い芸人への転身を決意するまでの道のり。
本記事では、ジャンポケ斉藤慎二の学歴と経歴を紐解きながら、彼がお笑いの世界に足を踏み入れたきっかけや、現在の活躍に至るまでの軌跡をご紹介します。
Contents
ジャンポケ斉藤慎二の学歴
ジャンポケ斉藤慎二の学歴は、彼の人生における重要な転機が詰まっています。
小学校時代から大学、そして演劇研究所まで、彼の経験が現在の活躍につながっていることがわかります。
八千代台小学校時代
画像引用元:週刊女性PRIME
ジャンポケ斉藤慎二の小学校時代は、千葉県八千代市立八千代台小学校で過ごしました。
しかし、この時期は彼にとって決して楽しい思い出ばかりではありませんでした。
小学3年生から深刻ないじめを受け始め、その内容は想像を絶するものでした。
「チビ」「死ね」といった暴言を浴びせられ、給食を食べさせてもらえないなど、心身ともに辛い体験を重ねました。
しかし、ジャンポケ斉藤慎二はこの経験を親には内緒にしていたそうです。
後年、彼はこの経験を公表し、いじめ問題に取り組む活動を行っています。
八千代中学校時代
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中学時代も、ジャンポケ斉藤慎二にとっては試練の日々が続きました。
千葉県の八千代市立八千代中学校に通いながら、小学校から続くいじめに苦しみました。
しかし、この時期にジャンポケ斉藤慎二は勉強を拠り所とし、成績優秀な生徒として知られるようになります。
また、中学時代は野球部に所属し、スポーツにも打ち込みました。
そして、この頃に見た舞台がきっかけで、俳優を目指すようになります。
苦難の中にも、将来への希望の光が見え始めた時期だったと言えるでしょう。
八千代松蔭高校時代
画像引用元:サンスポ
高校時代、ジャンポケ斉藤慎二は千葉県の私立八千代松蔭高校に進学します。
ここで彼の学校生活は大きく変わります。
それまでのいじめっ子たちのグループから離れ、新しい環境で自分を表現する機会を得たのです。
高校では野球部に所属し、1年生の時には甲子園出場を果たした学校の一員となりました。
また、クラスでは人気者として知られ、文化祭では歓声が上がるほどの存在感を示すようになります。
この時期の経験が、後の芸人としての活躍につながる自信を育んだと考えられます。
桐朋学園芸術短期大学時代
高校卒業後、ジャンポケ斉藤慎二は俳優の道を本格的に目指し、桐朋学園芸術短期大学の芸術科演劇専攻に進学します。
ここで彼は、演技だけでなく、ダンスなど様々な芸術表現を学びました。
大学生活では、仕送りを受けずに自活するため、居酒屋でアルバイトをしながら学費と生活費を賄っていました。
この経験が、後の芸能活動における多才な表現力や、困難に立ち向かう精神力の基礎となったと考えられます。
文学座附属演劇研究所時代
さらに演技力を磨くため、ジャンポケ斉藤慎二は文学座附属演劇研究所本科昼間部に進学します。
ここでの経験は、彼の演技力を高める一方で、俳優としての厳しさも実感させることとなりました。
残念ながら、文学座研修科生への昇格査定では不採用となり、俳優としての道が一時閉ざされてしまいます。
しかし、この挫折が後の人生の転機につながることになるのです。
ジャンポケ斉藤はNSC東京校第12期生
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俳優の道を諦めきれなかったジャンポケ斉藤慎二は、新たな可能性を求めてNSC(吉本総合芸能学院)東京校に入学します。
ここで彼は第12期生として、お笑いの基礎を学びます。
NSCでは、ダンスや歌などの成績が優秀で、選抜クラスに入るほどの実力を発揮します。
同期には渡辺直美やジェラードンなど、後に活躍する芸人たちがいました。
ジャンポケ斉藤慎二は、ここで自身の才能を開花させ、将来を嘱望される存在となっていきます。
ジャンポケ斉藤がお笑いを目指したきっかけは?
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ジャンポケ斉藤慎二がお笑いの道を選んだきっかけは、意外にも一般企業での勤務経験にありました。
俳優の夢が叶わず、地元の千葉で営業マンとして働いていた時のことです。
ある日、50代の女性上司に会議室に呼ばれ、「あんたこの仕事面白くないでしょ?役者目指してたんでしょ?だったら、吉本(興業)行けば?」と言われたのです。
この一言が、ジャンポケ斉藤慎二の人生を大きく変えることになりました。
上司の言葉を真に受けた彼は、その日のうちに吉本興業の養成所(NSC)の情報を調べ、締め切り直前に願書を提出します。
翌日には退職願も提出し、人生の転機を決断したのです。
営業マンとして働いていた当時について「上司の方から、“アンタ面白いから吉本行きなさいよ”って言われたんですよ」といい、「帰りにオーディションの雑誌を買ったら、吉本の養成所の締切が2日前とかだったんですよね。で、もう次の日に退職願を出して、同時に吉本の願書出して…」と明かした。
ジャンポケ斉藤慎二は一般企業に勤務していた?
ジャンポケ斉藤慎二は、文学座研修科生への昇格が叶わなかった後、一般企業に就職していました。
地元の千葉で営業マンとして働き、普通のサラリーマン生活を送っていたのです。
しかし、彼の心の中には常に演技への情熱が燻っていました。
そんな中、前述の上司の一言が彼の背中を押し、お笑いの世界へと導くことになりました。
この経験は、ジャンポケ斉藤慎二にとって人生の転換点となり、後の芸人としての活躍につながる重要な出来事だったと言えるでしょう。
ジャンポケ斉藤の経歴
ジャンポケ斉藤慎二の経歴は、お笑い芸人としてのキャリアだけでなく、多岐にわたる活動を含んでいます。
彼の才能と努力が、様々な分野での活躍につながっています。
2006年に「ジャングルポケット」を結成
画像引用元:サンスポ
NSC卒業と同時に、ジャンポケ斉藤慎二は2006年4月、おたけ、太田博久とともに「ジャングルポケット」を結成します。
トリオ名は、競走馬の「ジャングルポケット」から名付けられました。
結成のきっかけは、NSC卒業前の飲み会でした。
おたけと太田がコンビ結成の話をしている際、ジャンポケ斉藤慎二が「お笑いのデカい山を動かしますか」と声をかけたことから、トリオ結成が決まったのです。
キングオブコント決勝進出
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ジャングルポケットは、お笑いの実力を競う「キングオブコント」で、安定した成績を残しています。
これまでに4回の決勝進出を果たし、2016年には準優勝という輝かしい成績を収めました。
2015年から2017年にかけては3年連続で決勝進出を果たすなど、その実力は業界内でも高く評価されています。
ジャンポケ斉藤慎二の才気とトリオの絶妙な連携が、この成功につながっていると言えるでしょう。
「ウイニング競馬」のメインMCを務める
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ジャンポケ斉藤慎二は、2013年4月6日から2024年9月まで、約11年半にわたって「ウイニング競馬」のメインMCを務めました。
競馬好きとして知られる彼にとって、この仕事は夢のような機会だったでしょう。
番組では、競馬への深い知識と愛情、そしてお笑い芸人としての話術を活かし、視聴者から親しまれる存在となりました。
ジャンポケ斉藤慎二自身も「競馬を通じて視聴者とつながれることが一番嬉しい」と語っており、この仕事への情熱が伝わってきます。
地方競馬の馬主となる
ジャンポケ斉藤慎二の競馬への愛は、馬主になるという形でも表れています。
2021年10月、彼はジャングルポケットの産駒(子ども)を購入し、地方競馬の馬主となりました。
この決断の背景には、トリオ名の由来となった競走馬「ジャングルポケット」が2021年3月に亡くなったことがありました。
ジャンポケ斉藤慎二は、ジャングルポケットの名前を残していきたいという思いから、馬主になることを決意したのです。
彼の愛馬「オマタセシマシタ」は2022年6月にデビューし、ジャンポケ斉藤慎二の新たな挑戦が始まりました。
この経験は、彼にとって唯一無二のコンテンツとなり、芸能人YouTuberとしての活動にも繋がっています。
まとめ
ジャンポケ斉藤慎二の学歴と経歴を振り返ると、彼の人生が様々な挑戦と転機の連続だったことがわかります。
- 小中学校時代のいじめ経験を乗り越え、高校で人気者に
- 俳優を目指して演劇を学ぶも、挫折を経験
- 一般企業での勤務経験から、お笑いの道へ転身
- NSCでの経験を活かし、ジャングルポケットを結成
- キングオブコントでの活躍や、競馬番組MCとしての長期出演
- 競馬への愛から馬主になるなど、多方面で活躍
これらの経験が、ジャンポケ斉藤慎二の現在の活躍につながっています。
彼の人生は、挫折を糧に新たな可能性を切り開く勇気の大切さを教えてくれます。
ジャンポケ斉藤慎二の歩みは、夢を諦めずに挑戦し続けることの重要性を示しています。